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社会人の「頭の良さ」と学生の「頭の良さ」は違う? [勉強の役割]


よく言われる言葉の一つに「学校の勉強は社会で役に立たない」というものがあります。
そうは思わないからこうしたブログを書いているのには違いないのですが、学生時代に成績が悪かったにも関わらず、社会に出て活躍している方が大勢いるのは紛れもない事実です。
そういう方がいるのは何もスポーツや芸術といった分野に限りません。
一般的に「頭を使う」とされている職業の中にも多くいらっしゃいます。
人によっては高校卒の叩き上げの社長が、一流大学を卒業した部下に対して「ほんとに頭悪いな!!」と罵倒しているような場面を目にすることもあるかもしれません。
これはいったいどういうことなのでしょう?
今日は、仕事で必要とされる「頭の良さ」と、学力で測られる「頭の良さ」の相違点と類似点について考えてみたいと思います。
仕事で求められる「頭の良さ」とは何でしょう?
色々あるのですが、突き詰めて考えれば、僕は以下3点に集約されると考えています。
①論理的思考能力(ロジカルシンキング
②コミュニケーション能力(語学力を含む)
③発想力・創造力(クリエイティブシンキング)
これらの能力が高い人間の「頭が良い」とされることが多いように思います。
上の能力に加えて、「知識」、「実行力」、「体力」、「熱意」、「正しい信念」を備えた人間が、総じて仕事での評価が高くなるように思います。
「正しい信念」という少し曖昧なものが出てきました。これを言葉で説明するのは難しいのですが、「人として正しい心のあり方」と捉えてもらえば結構です。
「正しい心のあり方」とは何か宗教じみていますが、その捉え方で間違いではありません。
宗教でもいいのです。
少し余談に入ります。
新渡戸稲造が「武士道」を著したのは1899年のことです。「武士道」を執筆したきっかけは同書冒頭に出てきますが、知り合いの外国人と散歩の時、たまたま宗教のことに話がおよびました。
外国人いわく、「あなたの国の学校の宗教教育は?」という質問に対し、新渡戸が「ありません」と答えると、外国人は非常に驚き、「宗教なし!それでどうやって道徳教育が出来るのか」と繰り返し言われたそうです。その反応に新渡戸は即答することが出来ませんでした。
その経験が「武士道」の執筆につながるわけです。
ほとんどの場合、外国人の道徳観念の根幹にあるのは、宗教です。
キリスト教であり、イスラム教であり、ヒンドゥー教です。
当時の日本人の心の中にある道徳観念が「武士道」だとすれば、今の日本人に必要な道徳観念は何でしょうか?
僕はこれが「正しい信念」だと理解しています。
「正しい信念」を身につけるためには、キリスト教徒が聖書を読むように、正しい事を書かれた書物を何回も読むことが大切だと考えています。
何が正しいのかを判断するのは難しいです。
自分では出来ませんし、世間の評価も当てになりません。
確実なのは、「時の洗礼」を受けたものでしょう。
何千年、何百年、何十年と数多くの人に読まれて残っている書物であれば、大きな間違いはしないはずです。
新刊の自己啓発本はこうした読み方をするのには、全く不向きです。

さて、話を元に戻さなくてはなりません。
「頭の良さ」の三要素に、+アルファ(知識、実行力、体力、熱意、正しい信念)を加えた人間が社会で活躍すると書きました。
三要素以外のお話はここでは横においておきましょう。
もう一度三要素を整理します。
①論理的思考能力(ロジカルシンキング)
②コミュニケーション能力(語学力を含む)
③発想力・創造力(クリエイティブシンキング)
この3つですね。
では、学校のテストで問われる「頭の良さ」とは何でしょうか?
これは、過去にも書いてきたとおり、
①読解力
②暗記力
③計算力
の3つです。
基本的には、この3つの能力+アルファで成績は決まります。
+アルファの内容は社会人と同じと言いたいところですが、「正しい信念」は良い成績を取るのには、あまり関係がありません。「知識」は=「暗記力」ですね。
あと、何日か前に書いたとおり、「要領の良さ」は外せない要素です。
こうして見比べてみると、社会で言われる「頭の良さ」と学校で認められる「頭の良さ」にはずいぶん違いがあるようです。
しかし、過去の記事で明らかにしてきたように、それぞれの能力には密接なつながりがあります。まず、数学的思考は曖昧さを許容しません。
社会に出るとわかりますが、仕事が出来ない人、頭の悪い(失礼!)人というのは、得てして考え方が浅いものです。本質の3歩手前くらいで思考停止しているのです。
「まぁ、そういうことだろう」
「きっとこうなるだろう」
「こうであって欲しい」
という希望的観測や中途半端な分析を基に、意思決定をします。
そして、失敗するのです。
数学ではこうした曖昧な解答を許しません。
正解に辿り着くまで粘り強く思考することが求められます。
「A=B=C=D」
のように論理を追って思考できる人だけが、「A=Z」という解を見つけることが出来るのです。
数学で考えることを習慣化している人には、こうした論理展開は難しいことではありません。
ゆえに、数学の勉強は社会に出て役に立つとお話してきました。
ところが、中学校までの数学はこの論理展開があまり難しくありません。
お決まりのロジックを計算ミスせずに追えるかどうかを問うテストです。
結果的に試験の点数は「計算力」に負うところが非常に大きくなります。
論理的思考能力の高い子供でも、「計算力」がなければ高得点は取れないようになっているのです。
感覚的に言えば、中学校までの数学のテストが
計算力8:ロジカルシンキング2
で実力を評価されるのに対し、社会では
計算力1:ロジカルシンキング9
くらいで評価されているような気がします。
これが、学校の「頭の良さ」と、仕事上での「頭の良さ」が区別されてしまう要因の一つ目です。
※ちなみに、高校数学の習練度と、仕事上の「頭の良さ」はある程度の相関関係を示します。
(京大の西村和雄教授の調査結果が有名です。興味がある方は検索してみてください。)
高校数学は、中学数学に比べ、ロジカルシンキング重視傾向が強いので、そうなるのでしょう。

これまで見てきたようにロジカルシンキングは非常に重要です。
この能力が非常に高いと「頭の良い」人材とみなされる傾向が強いです。
しかし、それだけで突出した人材になれるのでしょうか?
上記3つの能力は掛け算の関係にあると僕は考えています。
ロジカルシンキング×コミュニケーション能力×発想力=頭の良さ
となるわけですね。
ということは、ロジカルシンキングだけではもちろん駄目なわけです。
特に「コミュニケーション能力」に欠けていると、文系職では評価ゼロに等しくなってしまいますので、注意が必要です。
では学校の成績とコミュニケーション能力には、どのような関係があるのでしょうか?
次回は「コミュニケーション能力」における実感のズレの原因を検証してみたいと思います。


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コメント 2

ぼんぼちぼちぼち

まったくその通りだと実感しておりやす。
学校時代は とにかくやみくもに 暗記暗記暗記・・・
学生時代は、記憶力の悪いあっしは 世の中に出たら のたれ死ぬんじゃないかと不安でやしたが
全然そんなことありやせんでやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-10-28 12:47) 

せんせい

>ぼんぼちぼちぼち様
コメントありがとうございます。
学生時代のテストで問われる力は、暗記力に偏ってますからね。
暗記が苦手な人にはつらい内容です。
GOOGLEで調べれば大概のことは分かる今日、会社で暗記力を問われることはそんなにないんですが・・。

by せんせい (2010-10-28 18:25) 

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